RUNだむ日記【Returns!】

RUNだむ日記は、2012年にサービス終了した北国tv.でのブログ。新作は、RUNだむ日記【+Plus!!】で。

釧路湿原マラソン・1

湿原マラソンのあと、下痢と高熱でダウンしていた。
39度前後の熱が24時間以上続いたのは、いつ以来なのか記憶にない。仕事が忙しく、体力回復までゆっくりと休んでいるヒマはなく、1日半で会社復帰したものの、腹に入った菌はなかなか抜けず、いつまでも腸がすっきりしなかった。

しかし、今日ようやく平常に近い状態に戻りつつある。休日出勤だったが、やや早めに退社し6時から7キロゆっくりジョグできた。それでも足は重い、重い。24時間以上トイレにも立たず、寝たきりでボロ雑巾のようになっていたツケは、思った以上に足にきていた。
なぜボロ雑巾だったのか。ちょうどカミさんが函館に行っており、世話を頼めるのは次男しかいなかったからである。もちろん次男は、氷まくらを何度も換えてくれたし、レトルトのお粥も買ってきて温めてはくれたが、やはり寝込んだときの世話は女房にはかなわない。

そんなワケで、月曜日に書いていた『釧路湿原マラソン・1』をようやくアップできる。今年は、「走るたび自己ベスト」がキャッチフレーズだが、このレースも速報で記したとおり自己ベストでフィニッシュすることができた。



札幌発9時4分の釧路行スーパーおおぞらに乗り込んだのは発車3分前だった。もっと余裕をもって乗車するつもりだったが、自宅を出る間際に、レース用シューズを入れ忘れていたことなどに気づき、慌ててバタバタと用意したため遅くなったのだ。お約束のように、やっぱり地下鉄まで走ることになり、レース前日の朝からやや激しいウォーミングアップとなってしまった。

札幌駅のホームでは、発車時間を気にしながらも缶ビールだけは確保し席に着く。ほっとしたところで、さて列車遠征の愉しみ、缶ビール片手に読みかけの文庫本を読もうとしたが、バッグに入れたはずの「壬生義士伝」がない。用意はしていたのだが、どうやら入れ忘れてしまったようだ。どこを探してもない。

釧路まで4時間、帰りも合わせると8時間の長旅、浅田次郎に泣かされるのを覚悟していたのに残念だ。仕方がないので、車内誌や「釧路湿原マラソン」のエントリーカードに同封されていた観光案内冊子をじっくり読んで時間をつぶすことにする。

隣に座っていた男性をはじめ、多くの客は帯広駅で降りた。トイレに行くつもりで通路を歩いていると誰かに声をかけられた。見るとgenさんだった。踵や脛の疲労骨折などで走れない状況がしばらく続いていて、ようやく少しなら走れるようになったという。レースのスタートラインにつくかどうかは様子を見て、ということだった。その後僕が自分の荷物を持って席を移り、あれこれ話をしているうちに、ほどなく釧路に着いた。

駅でgenさんと別れ、駅前のホテルルートインにチェックイン。荷物を置いてさっそく春採湖畔にある釧路市立博物館へ行くことにする。5kmたらずの距離なのでジョグ代わりの徒歩にした。北大通を歩いていると、鮮やかなムラサキ色の髪の毛をしたおばあさんとすれ違った。インパクトのある色だった。幣舞橋に向かって歩いていると古本屋があった。「壬生義士伝」を忘れてきたことを思い出し、今夜の寝読書と明日の帰りの列車のために何か文庫本を買うことにした。文庫のスペースはそんなに広くはなかったので、かえって探しやすい。近々読もうと思っていた東野圭吾の「手紙」があったので、迷うことなく購入。これは東野本のなかでも特に泣ける一冊と評判(?)なのである。もともと「壬生義士伝」で泣く予定だったから、ちょっと時代が違うがかまわない。

いちおうカンタンな地図は持っているが、釧路は海と川と湖と鉄道とがあるので、碁盤の目になっている区画が少ない。そのせいで道がよくわからないし、とくに湖の周辺は土地の高低があり、歩道も傾斜がきつく歩きにくいところがある。結局、博物館まで1時間半近くかかってしまい少々疲れた。しかも4階まである展示室をそれなりにじっくり見て回ると、けっこうな距離を歩くことになる。明日30km走るというのに、ウォーミングアップにしてはちょっと重すぎたかもしれない。

建物は釧路出身の建築家、毛綱毅曠氏の設計によるもので、タンチョウが両翼をひろげた形をイメージしており、日本建築学会賞を受賞したものだ。館内の展示も通産大臣によるディスプレイ産業大賞を受賞している。たしかに、見て回ると五感に訴える立体展示や立体環境音楽も心地よく、吹き抜けの螺旋階段の途中からも展示物を見ることができる。
常設展示はマンモスのレプリカ、釧路の大地や湿原の植物、昆虫、鳥獣、川・海の魚や海獣、クジラなどなどをはじめ、アイヌ、タンチョウに関する展示も充実していた。夏休みに入ったばかりで、早めに自由研究か何かを済ませてしまおうというのか、多くの真面目な親子連れが来館していた。

1時間以上館内を見て回り、時間があればもう少し見ていたかったのだが、あとの予定もあるので、そろそろホテルに戻ることにした。入館券を買い求める際、帰りのバス時刻と停留所の場所を教えてもらっていたので、出口を出てその方向へ向かって歩いたが、どうも様子がおかしい。ウロウロしたものの、教えられたとおりに進むと、春採湖に落ちることになりそうだ。僕の聞き方が悪かったせいだとは思うが、湖に沈みたくはないので、目印の市立病院は見えているのだから、自分の感覚を信じて歩いた。

幸いそれは間違っていなかったようで、病院の正面にあるバス停に出られそうだった。ところが安心したとたん、僕の目の前のT字路をバスが通りすぎていった。時計を見ると、教えられていた時刻のバスではないのか? その次のバス時刻は聞いていないが、今日は土曜日だし、のぞき込んだ時刻表にも、そんなに本数は多くなさそうだった。
しかし、ガッカリして角を曲がろうとすると、もう一台のバスがやってきて、ちょうど角の赤信号で停車してくれた。ダイヤは何かの都合で乱れていたのかもしれない。まるで僕に乗ってくれと言わんばかりのタイミングであった。行先を見ると釧路駅前は通るようだ。僕は一瞬だけ躊躇はしたが、気づいたときにはバスの前部の乗降口のガラスを静かに激しくノックしていた。

手真似で乗りたいからドアを開けてくれという意志を伝えると、運転手は渋々ドアを開けてくれた。「停留所でないからホントはダメなんだよね」と注意はされたが、そこは紅顔の美少年ならぬ厚顔のオトナだ。年の功と言ってもいいか(?)。すみませんでした、おかげで助かりましたと礼を言い、涼しい顔でいちばん前の席に座った。振り向くと2、3人のおばさんが乗っていた。なんもさ気にすんでない、わっちもよくやるさ、と言ってくれているような気がしたが、やっぱり気のせいかもしれない・・・。

街並みを眺めているうちに、バスが駅前に近づいた。もう少しで駅というところで赤信号になった。小銭を用意し、降りる準備をしながらふと横を見ると、ちょうど僕の泊るホテルの目の前ではないか。ここで降ろしてくれればありがたい。僕は一瞬だけ躊躇した・・・・・・が、その声を出す前にバスは動きだした。残念。帰ってからこの話をカミさんにすると「タクシーじゃないんだからもう、恥ずかしい」と呆れられた。

もう釧路の気候にカラダが馴化してしまったのか、20℃そこそこの気温のはずなのに汗をかいていたので、ホテルの大浴場に入ることにした。行ってみると、洗い場は8つで、湯槽も銭湯よりは少し大きいかというくらい。大浴場とはちょっと大袈裟だが、ほかに言いようがないかもしれない。とはいえ、カラダをのばしてリラックスできるし、解放感もあるから、狭い個室の風呂やシャワーに比べると大変ありがたい設備だ。

約束の4時半よりも少し早くじろーさんが迎えに来た。釧路の夜を一人寂しく過ごすのは可哀想だと、翌日に響かない程度の前夜祭(?)に付きあってくれることになっている。二人で末広のホテル1-2-3へ、歩いておまちゃさんとちかたんさんを迎えに行った。僕はお二人とは初対面だが、かんたんに挨拶を交わせばもう友人だ。そこがランナー同士の良いところ。おまちゃさんは、釧路に来る途中スピード違反で捕まってしまったそう。そんなところに隠れていたのか!というくらい卑劣な(?)待ち伏せだったようで、その悔しさはよく分かる。本当にご愁傷さまでした。

四人でMOOの2階にある「港の屋台」に入った。焼き鳥や居酒屋、炉端やおでん、そば、ラーメンとまさに屋根のある屋台村だ。どこに座ってどこの食べ物をを食べてもいい。ジョッキの生ビールで乾杯のあと、「さんまんま」「鳥刺し」「レバー刺し」「ツブ刺し」「しおラーメン」などをいただきながら、ラン談義に花を咲かせた。予定どおり明日に残らない程度のアルコールを摂取したのちは解散となった。店を出るときには、ほぼ満席に近いほど席は埋まっていた。
三人と別れたあとは、まだ時間が早かったし小腹もすいていたので、ホテルには缶ビールと焼きそばを買って帰った。大浴場でさっと風呂に入ったあとは、明日の準備を済ませ、食べて飲んで本を読み、11時頃にはもう明日の快走を夢にみて寝てしまった。
(続く)