RUNだむ日記【Returns!】

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06洞爺湖マラソン5 悪夢は醒めて

最初に「屈辱の記録」と記した如く、2006年の洞爺湖マラソンは大失敗レースになるのだが、レースも終盤となってきた。辛いけれど最後まで語ろう。さあ、いつまでも悪い夢を見ているわけにはいかない。長くは語るまい、と記し始めた記録だが、少し話が長くなってしまったようだ。

35キロ関門係員の、がんばってくださーいという緊張感を含んだ声と、チラッと腕時計を覗いた動きを見て、怠惰で緩慢な思考しかできなかった僕のアタマの中に、シュッと閃光が走った。
関門閉鎖? え?関門の閉鎖時間があったのか。
そういえば5キロごとに看板があったかもしれない。
そういえば洞爺湖マラソンにも制限時間があったのだ。
あれ?何時間だったか。5時間か。6時間か。閉鎖なら失格だ。ゼッケンをはずすのか。
走る前には、そんなことはまったく考えていなかったから閉鎖時間なんて知らない。知らないが、本能的に慌ててダッシュしていた。
まさか、関門閉鎖を心配しながら走るとは「夢」にも思っていなかった。
先にも記したが35キロ通過は、4'02"44だった。
あとで調べるとその関門閉鎖時間は4時間05分だった。
まだ2分と少しの余裕はあったが、ここでのダッシュは大正解だったのだ。のちほど生きることになる。

なんだか分からないが、関門をクリアだ。ほっとした。ゼッケンをはずさなくて済んだ。
だが、ちょっと待て。僕は、今たしかにダッシュした。そしてそのまま走っているではないか。なぜだ、なんでこんなに速く走れるんだ。
といってもそのとき感じた速さは、キロ6分のイメージだった。しかも実際は7分以上だった。
でも何故だろう、この5キロはほとんど死んだようにしか前に進めなかったのに、どうして突然復活したんだろう。
「もう走ってはいけない」という宣告を、受け入れられない自分がいたのか。
「イヤだ、まだ走りたい」という自分がいたのか。気がつくと、本能的に走り出した自分がいたのだ。じゃあ、この5キロだってもっと走れたんじゃないのか。
復活した喜びと、空白に等しいその5キロの不甲斐ない悔しさとがないまぜになったまま、僕は走り続けた。

そして、まだ見えないカーブの向こうから元気な若い声が聞こえてきた。37.5キロ地点給水所のボランティアは虻田高校生だが、初マラソンだった昨年も、足が止まりそうな僕を声援で引っぱってくれたことを思い出す。
「もう少しでーす」「ガンバってくださーい」
そうだ、この声援を聞くために僕は関門をダッシュしたのだろうか。そうだ、そうに違いない。
エイドは、そろそろ片づけが始まろうとしていた。
さっきの35キロ関門が閉鎖されれば、そのあとのランナーはもういないのだ。
もう僕の後ろには2分ちょっと分のランナーしかいない。
エイドにたどり着ける残りのランナーはあとわずかだ。
でも彼らは最後の一人まで、間違いなく声をかけつづけ、冷たい水とドリンクを差し出してくれるのだろう。
そして、ありがとうを返す僕の背中にも、
「もう少しでーす」「ガンバってくださーい」と嗄れてしまった声と声を限りに、送りだしてくれたのだった。

ちなみに35から40キロまでの1キロごとのラップは、
35-36キロ、07"17(通過は4'10"01)。
36-37キロ、07"30(通過は4'17"32)。
37-38キロ、07"31(通過は4'25"08)。
38-39キロ、07"28(通過は4'32"36)。
39-40キロ、07"36。
お世辞にも速いとはいえないし、昨年よりも遅いタイムではあるが、その前の30-35キロの52分に比べると、復活ぶりが分かる。とりあえず走っているとは言える。

やがて40キロ関門が見えてきた。ここでも係員は、
「はいー、もうちょっとだよー」
「がんばってー」と励ましてくれるのだが、
「通してあげるから、ガンバんなさーい」と言っている係員がいた。え? 通してあげる? 誰を。
僕か、それとも後ろのランナーか。
もしかして閉鎖時間は過ぎているのだろうか?
関門閉鎖時間を知らないから分からない。
40キロ通過は、4'40"13だった。
あとで調べると、うわ、閉鎖時間は4時間40分だった。
通過は13秒遅い。つまり、お情けで通してくれたのだ。
もしも35キロ関門で諦めてダッシュしていなかったら、この40キロ関門は、すでに閉じていたんだと思う。
あのダッシュが生きたのだ。

40キロを過ぎると大半のランナーが歩いていた。その中に、おおひろさんを見つけた。
やっと追いついたよーと言うと、驚いていた。
「2周目ですかー」と声をかけられ、何を冗談言っとるんだと思ったけれど、時間がもったいない(この期に及んで?)ので、指を1本あげて「1周目…」と返事した。

残りの2キロが長く感じるのは毎度のことだ。しかし、もう歩くことはなかった。
ゴール近くになると「おかえりなさーい」と声をかけてくださる方が何人もいた。
「疲れたしょ、もう少しだよー」という声も聞こえる。
ゴールの少し手前で、走り終えていた走友に声をかけられたが、先を急いで(?)いたので走り続けた。
そして、無事ゴールをした。
最後の1キロは06"50、ゴールは4'55"50だった。

僕のフルマラソンのワースト記録は、こうして生まれたのだが、この悪夢の大失敗レースは決して忘れない。
反省すべき点については、あらためて整理しよう。レース後はかなようさん、やすさんと3人で参加賞の無料入浴券で洞爺湖万世閣の温泉に入浴し、それぞれ次のレースでの再会を約束して別れたのだった。

湖畔では、少し冷たくなった風に桜が舞っていた。
(終わり)