RUNだむ日記【Returns!】

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06洞爺湖マラソン4 醒めない悪夢そして

考えてみると1月はかかと痛で、2月は未明の転倒による足指負傷でトレーニングを中断し、「ふりだしに戻る」や「6つ戻る」などがあり、思うとおりの練習ができたかというと、否と答えるしかない。しかも先月は、悪天候の「伊達ハーフマラソン」の下りで激走するという愚かな走りをしてしまい、自滅&故障。
そしてそれらを引きずっての洞爺湖マラソンだったのだ。だが、それらはすべて自分の責任ではないか。
さあ、長くは語るまい。言い訳になるだけだ。

30キロ通過は、3'10"34。(昨年2'53"06)
トイレを出たあとは、少し元気になった。歩道でコーラのエイドを出してくれている方がいて、ありがたくいただいた。おいしい。
しかし元気になったのは直後だけだった。腹痛がなくなると、今度はヒザの痛みが気になってきた。さらに右のハムストリングスが痛む。大腿四頭筋もふくら脛も固く重い。足が上がらなくなってきた。
コースの傾きを身体で修正できない。ぼおっとしていると身体は低いほうにどんどん寄っていくようだ。それでいて陽射しが暑いから、樹木などの日陰があると無意識に高いほうにも寄っていくのだった。これは蛇行しているということか。
でも、まだ走ってはいた。

30から35キロまでの1キロごとのラップは、
30-31キロ、08"47(通過は3'19"22)。
31-32キロ、09"09(通過は3'28"31)。
32-33キロ、09"22(通過は3'37"53)。
33-34キロ、13"11(通過は3'51"04)。
34-35キロ、11"39。
35キロ通過は、4'02"44だった。
目を覆うばかりの悲惨なラップタイムである。
はっきりと憶えてはいないが、これを見ると33キロあたりから歩き始めたのだろう。その前の31から33キロは歩きたいと葛藤している区間だ。
歩いちゃいけない、ゆっくりでもいいから走るんだ。しかし足に身体にチカラが入らない。左のヒザが痛い。

昨年の洞爺湖での初フルも、30キロでバスに収容されたとはいえ道マラも、もちろんサブフォー旭川マラソンでも歩いたことはなかった。
それらのどのレースよりも遅いペースなのに、なんで走れないんだろう。走るのをやめようと考えているんだろう。
歩いちゃいけない、ゆっくりでもいいから走るんだ。
しかし気力が湧いてこない。左のヒザが痛い。
右のふくら脛とハムストリングスが張っている。
右のスネと腿が痛い。右の足底筋が痛い。
ヒザ以外はなんで右なんだろう。
そして「走っている」僕の横を、「歩いている」ランナーが追い抜いていった。

僕は立ち止まった。

初めてフルマラソンで歩いてしまった。
少し走り、かなり歩き、ときどきストレッチをした。
ストレッチは一度すると、何度もやってしまう。
走るより、歩くほうが足底筋が痛むのが不思議だった。

僕よりかなり高齢の、折れそうな男性に抜かれた。
僕より体重は1.7倍ありそうな男性にも抜かれた。
ウエアが素敵でキレイなお嬢さんに抜かれた。
胸がユサユサしたお姉さんにも抜かれた。
あまりに遅い僕の足には虫がとまり、刺していった。
ちくしょう、虫にまでバカにされるのか。
(悪い虫だったようで、今も右のスネは刺された部分を中心に赤く腫れて張っている)

どうして途中の収容バスに乗らなかったのだろう。
乗り心地は悪くなさそうだったじゃないか。
リタイアの4文字が脳裏をかすめる。
滲んだ文字の輪郭がだんだんとくっきりしてきた。
ときどきバイクの移動監察車が横を通りすぎる。これは、きっと倒れそうなランナーをいちはやく目をつけるための巡回なのだろう。そんなことを考える思考力はあった。
ときどき後ろを振り向いた。歩いている人も走っている人もいるが、振り向くたびにその人数が減っていく。
いったい何百人、いやフルの出場者は2700人位いたはずだから、もしかするとスタートから数えると2000人以上に抜かれたかもしれない。
それでも僕は、歩くにしろ走るにしろ、とにかくそれが義務でもあるかのように、足を前に運んでいたのだ。

やがて、関門らしき地点から係員の声が聞こえてきた。
「はーい、がんばってー」「がんばってくださーい」と叫んでいた。その声の裏に、わずかな緊張感がある。
係員は腕時計をチラッと見た。
そこは、35キロ関門地点だったのだ。
(続く)