RUNだむ日記【Returns!】

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05旭川マラソン5・ゴールは涙か幻か

旭川マラソン」の目標はいくつかあった。

突然の腰痛をはさんでこの2~3週間は、コンディションがよくなかったので、最低目標はもちろん完走だ。
なにしろ初マラソンだった5月の「洞爺湖マラソン」では4時間18分32秒で完走したものの、今年のメインレースだった8月の「北海道マラソン」では、完走させてもらえなかったのだから。

もうひとつの目標は「道マラ」の5キロごとの関門閉鎖時間をすべてクリアして完走したい、というものだった。
この関門閉鎖の時間設定は、僕には夏のレースということに加え、かなり厳しいものだった。
実際、時計のトラブルがあったとはいえ、30キロであえなく不通過・リタイアとなってしまったのだし。

そして今日の最大目標は、それらの関門時間をすべてクリアしたうえでのサブフォー、4時間切りだった。
スタート前の取材に思わず「目標はサブフォー」と答えてしまったのも、本音がポロッと出てしまったにすぎない。しかし、その本音が実現しようとしていた。


架空の「道マラ40キロ関門」を11秒とはいえクリアし、花咲公園陸上競技場へ戻ってきた僕は、トラックの上を走っている。
時計を見た。それが4'00"00を表示するには、あと4分必要だった。
フルマラソンで4時間を切れる。サブフォーはもう間違いない。転んだって大丈夫だ。
フィニッシュラインまでの300メートルほどを、こんなにも気持ち良く走ったのは初めてだった。

42キロ走ってきた疲れはたしかにあるが、走るための全身の筋肉を総動員して前へ進んだ。
底の一滴までエネルギーを使い果たし、前のランナーを追いかけようと思った。それは本能だった。
それでも不思議なほど気持ち良く、カラダが軽かった。
まるで浮き上がるように、羽根のように軽かった。
2週間前に突然襲われた、余市マラソン(DNS)スタート前の腰痛は、いったいなんだったのだろう。
この日のために、少し休めと誰かがくれた有給休暇だったのだろうか。

気のせいだろうか、場内は大歓声に包まれている。
コーナーをまわりきると、まっすぐ正面にはフィニッシュゲートが見えた。
僕の前にはランナーがいる。後ろにもいる。
でも、僕はひとりだった。
フィニッシュはもう目の前に迫っている。
僕は両手を挙げて大きくガッツポーズの準備をした。
スタンドの観衆が総立ちのスタンディングオベーション、拍手と騒めきと歓声の中、サブフォー達成のフィニッシュラインを踏み越えようとしたとき、
「naviさ~ん!」の声で目が覚めた。
Ogamanさんたちがゲートの向こうで僕のゴールを見守ってくれていたのだ。
スタンディングオベーションと拍手と騒めきと歓声は、幻覚だったのかもしれないが、たしかに聞いた気もする。

挙げた両手でそのまま歓喜のハイタッチ。
サブフォーおめでとう!やったね!カッチさん、かおちゅーさん、としちんさん、yagiさん…誰が誰だか分からないくらいたくさんの人とハイタッチや握手をした。
喉がカラカラだったので、配っていたスポーツドリンクとパンを受け取り、ヨタヨタとそこらじゅうを歩いた。
今立ち止まってしまうと脚が痙攣しそうだ。

ドリンクがカラになってしまったので、水飲み場で缶に水を入れ、飲みながらウロウロした。
誰かが完走証を手にしているのに気がつき、自分ももらいに行った。すると窓口に着いたとたんに手渡してくれた。どうやら僕がヨレヨレと近づいているうちに、ナンバーカードを見て入力していたようだった。

記録証には、10キロごとのタイムが印刷されていた。

10キロ/0'52"19
20キロ/1'45"40
30キロ/2'43"11
40キロ/3'44"49
ゴールタイムは、3'57"22、だった。
(終わり)